昨今ますます盛り上がるサウナブーム。だがこの潮流の背景には、日々奮闘してきた巧者がいることをご存じだろうか? ストーブ産業の第一人者であり、サウナストーブ、そしてサウナそのものの開発と拡散に長きに渡って情熱をかけてきた企業「METOS」(メトス)。この代表取締役を務める吉永昌一郎氏、彼こそが、斬新なアイデアと実行力を持って、逆境を切り開いてきた立役者だ。今回は「サウナの今とこれから」についてお話を伺うとともに、吉永流「時代の読み方、仕掛け方」を学びたいと思う。
吉永昌一郎(よしなが・しょういちろう)
METOS代表取締役社長
『「人」の「心」と「体」をあたためる』を企業ポリシーとして71年の時を歩むMETOS(メトス)を率いる、歴代最年少の経営責任者。前職は自衛官で、そこで培われた使命感や判断力、組織力を現在生かす。創業当時より掲げるグローバルな視野と、本当に価値のあるモノの提供とサービスを受け継ぎながら、日本初のサウナグッズ専門店「Metos Sauna Soppi(メトスサウナソッピ)」をオープンさせるなど、次世代へ向けて新たなステージへのチャレンジを続けている。
撤退産業と呼ばれる中で
― 長年サウナ業界を見つめてこられている中、かつてのサウナブームと今のサウナブームを、どんなふうに捉えていますか?
吉永:まさに今は、サウナニーズの再燃ですね。実はサウナ業界は、約15年前に一回ドボーンと落ちまして。いわゆる撤退産業のレベルまで行ったんです。温浴施設では、当時岩盤浴がブームになってきて、サウナがどんどん縮小していってしまった。それに炭酸泉や露天風呂など、お風呂のほうに強化が入っていって、サウナがどんどん縮小していくっていう時代だったんです。
温浴施設を作るのもサウナ店を作るのも、投資する金額=トータル原資は一緒なわけで、その中で、サウナを付けるのか、露天風呂を付けるのか、はたまた炭酸泉なのか岩盤浴なのかって、いわゆる特殊設備をプライオリティを決めてラインナップしていくんですけど、その順位が、サウナは下がっていった時代だったんです。
そこで当時、サウナのマーケットを調べたら、利用者の大半が60歳前後の、いわゆる高度成長期に肉体労働の仕事に就いていた人たちが、お風呂の後にサウナを使うっていうのが主流だったことがわかったんです。若い世代からは「あんなガマン大会きらい」とか、女性からは「ドライでピリピリしたサウナなんて何がいいの? それだったら岩盤浴に行くよね」という声もあり、客層も逃げていったんですね。これはまずい、と。そこで僕がMETOSの統括を担当しているとき、世代を広げていく戦略を打ち立てたんです。その一つが「ロウリュ」でした。
不屈のロウリュ計画
吉永:15年前、ロウリュできるサウナは全国で4つしかなかったんです。カラッとしたドライサウナが主流だったんですが、若い世代や女性はこの乾燥が嫌だったわけで。そこで、METOSのマシーンロウリュの導入を各施設に推進するとともに、ドイツの「アウフグース」(ロウリュで立ち昇った蒸気をタオルなどであおぐ行為)を取り入れたパフォーマンスで集客していこうと決めたんです。
だけど、前例がほとんどないものに賛同してもらうまでにはかなり苦戦しました。「人件費がかかるでしょ? 機械もいつか壊れるし、メンテナンスを学ぶのも大変でしょ?」と。僕らは「いや、今から絶対やらないと定着しませんよ。若い世代が変わらないと無理ですよ」という話をし続けました。
ほどなく、「お風呂元気プロジェクト」というスーパー銭湯を収益にしたオーナーさんたちと『熱波甲子園』という大会を開催しました。全国の施設さんには、とにかくみんなで参加して盛り上がりましょう、一回でいいから熱波甲子園を見に来てください、とひたすら声をかけました。またMETOSとしては、広めるからには施設が扱いたいと思えるものを開発する使命がありました。そこで、僕たちMETOS側は逆に、ロウリュをするための「ikiヒーター」という野趣的なヒーターを生み出し、これがロウリュするための最大の機械ですよと打ち出しながら、全国行脚していったんです。
― 今はサウナ界ではメジャーになったロウリュですが、そこに行き着くまでにはかなり地道な啓蒙活動があったんですね。
吉永:そうですね。今でさえロウリュという言葉も定着していますけど、昔はリョウリュだとかリョウリューって伸ばしたりとか、実は言葉が定まっていなかったんです。それを僕がロウリュっていうカタカナの言葉にして、これでずっと告知していくことにしたんですよ。そうじゃないとログがばらついて結局広がらないと思ったんですよね。
それに加えて、フィンランドが日本との国交100周年を迎えた際に、フィンランド人の習慣であり財産であるサウナカルチャーを、日本でも広めようと動き出したんです。元々フィンランドには日本のサウナ店のようなものがなかったんですよね。ほとんど各家庭のプライベートコテージだとか、自宅のサウナとかで、みんなで入って楽しむスーパー銭湯のようなものがなかった。そこで、観光事業を広げていくために、サウナを商業施設的に広げていこうという活動に入ったんです。100人の「サウナアンバサダー」を作り、メディアや広告で動き出しました。テレビで「サ道」が放映されたこともあり、今のサウナブームに行き着いたというわけです。
― なるほど。そういう意味では、今は新旧のサウナーが入り混じっている状態ですかね?
吉永:そうですね。「サウナはこうあるべき」というポリシーを持った歴の長い人と、見よう見まねで最近入り出した人たちが混在していますね。3年前くらいは、双方で考え方が違うからこそ揉めごともあったと思いますが、サウナーって意外とみんな、入浴ルールやマナーをけっこう守るんですよね。だってみんな気持ちよく入りたいから。自然とお互いが歩み寄ったところが今の文化なのかなって思います。
吉永:実は昨今のコロナ禍もあってか、みんな元来の入り方に徹しているんですよ。分かりやすく言えばサウナ室では喋らない、文句を言わない、仕事の話をしない。「ととのう」など、サウナ上がりは体調を重視するという目線になっていますね。
ちなみに、ドイツやフィンランドのサウナにもマナーがあるんです。ドイツでは、自分の汗は絶対拭き取って出ましょうとか、扉は開けっ放しにしない、断りなしで水をかけないとか。フィンランドでは今でもサウナの中では喋らない、ビジネスの話はしない、愚痴や困ったことばっかりを言っちゃいけないとか、昔からのマナーが息づいているんです。そういう意味では、日本のサウナ文化はまだまだ習熟していないかもしれませんね。
― サウナマットを敷くというのも、そのマナーにあたるんですか?
吉永:日本でサウナマットが使われるようになったのは、ホテルから始まっているんですよね。汚れて次の人が不愉快にならないようにという意図で。でも僕は、逆にサウナマットをなくそうという方向性なんです。あれがあると、ものすごくにおいがこもるんですよ。マットを入れ替えたらにおいがなくなる。極端な話、マットを敷かなければにおいがなくなるんですよ。
自分のいたスペースは自分で拭くというドイツ式のルールに変えていけば、問題は解決するはずです。大きめのバスタオルを各自で敷いて、終わったら引き上げて持っていくという風潮が広まったらいいですよね。また今日本でも、サウナは大人数のパブリックから1グループやソロで入れるものが増えています。そうなると当然、マットを敷く必要性がそもそもない。サウナのパーソナル化というのは、今後さらに必要とされるのではないでしょうか。
時代は繰り返さない
― サウナのパーソナル化という文脈で言えば、それぞれの好みに沿って、どんどんサウナやストーブは進化していきそうですね。
吉永:そうですね。ロウリュひとつとっても、それぞれが好きな湿度やタイミングが違う。僕たちサウナメーカーには、そうしたいろんなロウリュの趣向に応えられるヒーターが要求されています。水をかけられるヒーターをさらに強化する、そんな宿命があると思うんです。
実は日本でも、50年も60年も前から、ヒーターに水をかけて入ることがサウナだ、という認識はあったんですよ。だけど当時、それができるサウナはすごく人気があって、サウナ室の入口に人が並んでしまったんです。すると、どうしてもクレームになるでしょ。「ずっと待ってるのに、入れないんだけど」って。そこで施設側が温度を意識的にどんどん上げて、人の出入りの循環を優先したんです。そうなると、熱いからこそ人が入るたびに水をかけたんです。自分がかける。また次の人がかける。また次の人がかける…。きりがないんですよ。ずっとかかりっぱなし。それで機械が壊れたんです。結果、施設側は「水はかけないでください」と告知する。これが歴史の流れなんです。
今からサウナが人気になればなるほど、多分これを知らない施設さんには苦情が増えると思うんですよね。ヒーターが壊れて、メンテナンスにお金と時間がかかるようになったら、ヒーターに水をかけるのをやめてくださいって言って。また戻っていくんです、歴史がね。
僕たちはこの歴史の流れを分かっているし、改良していく仕組みを持ち続けなければいけない。今このサウナブームっていうのは、僕は一過性じゃないと思っているので。世代間が広がって、さらに若い世代が大人になってシニアになっていくときに必要なアイテムであろうと思います。それに向けてもう対策を取っていかなきゃいけないという時が、今だと思うんですよね。身体を安心して預けられて、自分のライフスタイルの一部になること。サウナによる健康促進が具体的に見える化すること。そんなテーマを念頭に置きつつ、信用、信頼、責任、そして憧れを追求していくことがミッションだと常に思っています。そこに『メジャーの位置付け』の本質があるように思うのです。