サウナと香りは密接な関係にある。スモーキーな薪の香り、スパイシーなウッドの香り、すっきりとしたハーブの香り…。それらの香りはロウリュの熱気に乗って鼻腔に届けられ、心身のバランスを整えてくれる。と同時に、何か新しい世界が開いていくような感覚もある。そこで今回は、“香りと空間”について知識を深めるべく、アロマ空間デザインを長きに渡って手がける「A Green」の深津恵さんを訪ねてみた。
原点回帰へ
「センティングデザイナー」という仕事をご存知だろうか? 香りで空間をしつらえる、いわばアロマ空間をデザインするプロフェッショナルのことだ。とはいえおそらく日本には、このポジションに就く者は彼女以外いない。なぜならば、彼女こそが「センティングデザイン」のパイオニアだからだ。
深津さんは18歳まで、大分・日田の大自然のなかで過ごした。実家が林業を営んでいたことから、幼い頃から木々の香りに包まれて育った。
「ある意味、英才教育だったかもしれませんね(笑)。物心つく前から自然の香りに常に触れていたので、匂いに敏感になり、無意識のうちに嗅覚が研ぎ澄まされたのかもしれません。それでものちに都会に憧れ、東京に出ることになったんですけども…。
20代はじめに航空会社でCAの仕事に就き、ホスピタリティーを培うことに専念しました。忙しい毎日のなか刺激的ではありましたが、しばらくしてちょっと疲れてしまったんですよね。
その時ふたたび出会い、私を原点回帰させてくれたのが香りでした。それも自然の香り。幼い頃に嗅いだ木や花、土の香りが帰って来たという感覚でした。そこからいろんな香りのエレメントを勉強し、香りの世界へ没頭していきました」
アロマセラピーの国際ライセンスを取得後、植物の香りで空間を彩る世界観を探求し、「アロマ空間デザイン」のコンセプトを提唱しはじめた深津さん。空間を香りでプロデュースする「@aroma」に在籍しながら、前職で感じていた部分にも着目し、空港や機内の香りの提案にも乗り出した。
「臭いがダメなところには生きにくさがあるように思うんです。人は“感じる”という部分がメンタルやフィジカルにも影響が出やすい、だから香りで空間をしつらえたいなと。またパブリックな場所であるほど、多くの人が共感できる空間でなければならない。そんな想いで取り組んだのが、ANAが贈る「Inspiration of Japan」というプロジェクトです。
ANAの空港ラウンジやチェックインカウンターという旅立つ前のスポットから、機内ラバトリー(化粧室)のハンドソープ、アロマカードなどに、深い森林を思わせるアロマを使った演出やサービスを施しました。よりリラックスして過ごせたり、日常生活でふと旅の記憶を香りによって思い出したり。香りを日常と非日常を繋ぐ接点にしたいと考えたんです」
非日常を日常に
「サウナと香りの相性がいいことはみなさん実感されていると思いますが、アロマによるストレス軽減を研究したエビデンスからも、それは確実だといえます。心身ともに解き放つサウナに香りが相乗することで、より心と体の状態をチューニングすることができるんです」
深津さんは、ストーブやサウナを手がける「METOS」の前身、「中山産業」と共に、サウナとアロマのコラボレーションを業界に提唱した経歴もある。サウナに興味を抱いた背景には、飛び回った海外の渡航先で味わった体験があった。
「ニューヨークのマンダリンホテルのサウナで嗅いだ香りが印象的でした。都会に居ながらすごく自然を感じましたね。ベルリンでは植物を敷き詰めるサウナもあったりして。
“自然とともに生きる”を提唱するスパ文化は、今も海外のほうがまだまだ先を行っていますが、日本でもこれからよりニーズが高まってくるんじゃないかと思っています。そしてサウナと同じく香りも、より身近な生活必需品となってくるんだと思います」
深津さんは『非日常を日常に』と何度も繰り返した。香りはもはや特別ではなく、心身と共にあらんことを見据えている。
その昔、ヒノキやフランキーセンスは体を整えるアロマテラピー要素として親しまれていたという。いつしかヨーロッパのグラースに香料が集まり、香水を代表とする美として華やかさが追求されるようになったそうだ。また時を経て香りは、消臭や抗ウイルスなどの機能性も重視されるようになった。そして今、人々にとって香りはどんな位置付けになっているのか。深津さんはこう続けた。
「我々は今、自然に惹かれるサイクルにいるのではないでしょうか。リモートワークが一般的になり、見ること聞くことは簡単にできるようになりました。だけど、匂いは嗅げない。つまり感性が満たされない。それなら今いる場所に香りを、という欲求から自宅にアロマを取り入れる方も増えました。そこで選ばれたのは、不安定な日常をととのえてくれる自然由来の香りだった、というわけなのです」
香り探しは自分探し
深津さんは現在、企業や教育機関のほか、個人向けに香りをカスタマイズして作り上げるプライベートサロンも開いている。人の数、いや、人のコンディションの数だけ香りはあるのだから、その人にジャストミートする香りを届けたいという気持ちがあるそうだ。
サロンにはたくさんの精油が保管されているにも関わらず、香りの強さを空間に感じることはない。聞けば、植物原料のものは残香感がほぼないというのだ。(たとえば、洗濯して香りが衣服に長く残るのは、合成洗剤に入っている化学物質が衣服に付着しているということだそう) ここから始まる1時間に胸が高鳴りながら、深津さんと向き合い、まずは一通り嗅いで好きな香りを分けていく。
実際に体験した私が選んだのは、
・ユーカリ・ラディアータ(爽やかな朝の香り)
・イランイラン(少し甘みあり)
・ベチバー(濡れた土壌の香り)
・台湾ヒノキ(樹木系の清涼感と深み)
などなど。深津さんが生産者の元に出向き、自身の鼻で嗅いで集めた精油ばかりだ。ちなみに深津さんは植物原料の精油であれば、嗅いで産地や育ち方、できの良し悪しを見分けられるのだとか。
「香りは生きているんです。自然界からちゃんと抽出された本物の香りであれば、いつも同じでない面白さがあるんです」
そのあと、自分の好きな色やインテリア、最近のメンタルなどを深津さんとの対話で伝え、彼女が微量の割合で調合していく。最終的に出来上がったのは、ベチバーの根っこからイランイランの花まで伸びゆくようなストーリーのある一本だった。出来上がった香りを嗅ぐとひとたび、今の自分を知るような気持ちになった。
いつかプライベートロウリュができる場面でも、この精油を使ってみたいと思う。汗をかいでデトックスするだけでなく、香りとの相乗効果で、感性がのびやかに広がるような気がするのだ。
深津 恵(ふかつ めぐみ)
1972年、大分県日田市生まれ。『@aroma』の立ち上げから携わり、ANA、LEXUS など、数多くの香りの制作や空間デザインのプロジェクトを約20年にわたり手掛ける。日本をはじめ、アメリカやヨーロッパ、中国において、ヘルス&ビューティ、ファッション業界、ホスピタリティー業界など、多岐にわたる香りの空間デザインや商品化、オリジナルアロマのデザインを担当。近年は、大学での教鞭、講演やセミナーも行い、この文化を広げることに尽力。2020年「A Green」設立。